世界史の1ページ
今朝起きたら、とんでもない事態になっていた。「おはよう」の代わりに母から言われたのが、
「ミサイルが発射されたわよ」
だった。寝起きに言われたから、まさに寝耳に水。驚いた。どこのチャンネルを回しても、このニュースばかり。非常に忌忌しき事態。安穏と構えている場合じゃないなと思った。・・・食パンを食べながら。
日本人は、もっと危機的に感じても良いし、もっと様々な感情を抱いても良いんじゃないだろうか。大学に行ってそう感じた。何処と無く、「自分には関係ないけど」という空気が流れていた気がする。通りすがりの大学生の会話を聞くと、「ミサイル落ちたんだってさ~」というワイドショーの向こうで起きているというだけの感覚を受けた。何処まで、その深刻さを私たちは感じとれているんだろう。
無関心であること
これが、一番怖い。事実に対して他人事の様に捉えるよりは、憤りでも良い。自分の考えを持つべきだと思う。ある種無関心で、国家の決定に対しても淡々と受け入れることは、何の疑いも抱かず素直に応じ、マインドコントロールされているのと同じだ。確かに、日本人の若者たった一人では何も出来ないけど、問題意識を持つことは大事ではないかと思う。決して、無関係じゃないと思うから。
衝撃的な事件が起きた時、私がぱっと思い浮かぶのはその時々の先生の顔だったりする。
小4の3月、地下鉄サリン事件が起きた時、担任の先生の驚愕した顔が忘れられない。教室にいたら、先生が慌てた顔をして教室に入ってきてテレビを点けた。その顔を見て、子供ながらに「これは異常な事件なんだ」と理解した。
高校生の時、「9.11テロ」が起きた時も、世界史の先生の顔を見て、極めて「尋常じゃない事件」だと思った。高1の時に世界史を習っていたから、テロについて理解できる部分もあった。ニュースを見て、史実と現在が繋がる部分もあった。あの時、教科として学んだものが現実に活きる感覚を初めて知った。でも、そんな悲しい事件でその感覚が磨かれるのは、哀しいことだった。
今日も、その世界史の先生は、きっと生徒達に何かコメントをしているんだろうと思った。どんな顔をして話すんだろう。教育現場で、この事実はどんな風に伝えられていくんだろう。唐突に、歴史を教えることの意義と、難しさを感じた。いざという時、過去の歴史と現在の社会への理解・知識は、判断に必要な力だと思う。「世界史」を学ぶ意義は、ただ単に受験の為だけじゃない。きちんと理解しなければならないし、これから生きていく上でも必須だと思う。もし、教員になるとしたら、「公平」な歴史感覚を伝えられる教員になりたい。
今回のことも、これからの日本人が背負い、処理して、対応していかねばならないとしたら、歴史感覚・国際感覚が重要になるなと思う。もう少し、色々学び、考える力を養った方が良いよね、我々は。何より、自分達のことだと。
ミサイル発射で、死者が出ないことを心から祈っています。今の自分には、それしか出来ないから。


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